東京ウド

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 幕末に吉祥寺で始められたうど栽培は、戦前・戦後を通し、多くの関係者が技術開発、改良に尽力しました。その結果、北多摩一円は品質・生産量ともに日本一のうど産地に成長していきました。
 昭和23年(1948)から、高橋米太郎氏が横穴を掘って穴蔵でのうど軟化法の研究に本腰を入れて取り組みました。昭和26年(1951)の1月になって、軟化うど560キログラムをいままでより一ヶ月も早く市場に出荷しました。高橋氏の出荷した軟化うどは全く土がついておらずまっすぐに育っていて、そのできばえの良さに卸売りの業者たちは高い評価を与えたといいます。高橋の考案したうど軟化法は北多摩地域に広まり、昭和30年(1955)に実用新案を申請し、昭和35年(1960)に「軟白野菜促成穴蔵」として認可を受けました。この軟化法は他の産地にない独特のもので、軟化うどは日本料理向けの高級食材として受け入れられました。
 なお、武蔵野市境の玉川上水には昭和40年(1965)に“うど橋”がかかり、橋の南側たもとには、うど記念碑が建てられています。

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