江戸東京野菜について

雑司ヶ谷かぼちゃ

 明治三十年代には北豊島郡の南瓜の主産地として「高田村」(雑司ヶ谷村を含む)が紹介されており(北豊島郡農業志料)、郡内有数の南瓜の産地となっていたようです。
 「雑司ヶ谷黒皮南瓜」「雑司ヶ谷南瓜」など「雑司ヶ谷」の地名がついた品種は東京黒皮南瓜のことと思われ、「昭和八年度全国種苗商案内」には「東京黒皮南瓜は近年富津南瓜の大量生産に圧せられ勢力を失っているが、原産地の適地に於いて栽培する東京黒皮は、やはり促成用種最高特徴を持っている、即ち東京黒皮は富津南瓜より約一週間は早く着顆する極早生にして、此の特徴には富津でも敵しがたく富津南瓜の栽培地では今尚東京黒皮南瓜を原種として用ひている」とあります。
 さらに石田増之助「東京市場に於ける南瓜種類の推移見聞録」『種苗世界』第一号(昭和7年(1932)では、「(富津南瓜の)種子は毎年東京府下板橋、又長崎付近のものを買入て栽培し」たとあり、板橋・長崎に近い雑司ヶ谷地域は、昭和初期まで、内藤南瓜とともに黒皮南瓜の特産地でした。

代表的な取り扱い地区のJA

JA東京あおば http://www.ja-tokyoaoba.or.jp/