東京農業歴史めぐり

神崎の牛牧

 文武天皇(701〜704)の時代、現在の東京都心には国営の牧場が各地に置かれました。早稲田から戸山にかけた一帯は、牛が多かったので牛込と呼ばれて、この元赤城神社一帯は、牛の放牧場でもありました。

 大宝元年(701)、大宝律令で全国に国営の牛馬を育てる牧場(官牧)が三九ヶ所と、皇室の牛馬を潤沢にするため天皇の意思により三二ヶ所の牧場(勅旨牧)が設置されましたが、ここ牛込にも官牧の牛牧が設けられました。牛牧には乳牛院という牛舎が設置されて、一定期間乳牛を床板の上で飼育し、乳の出が悪くなった老牛や病気にかかったものを淘汰していました。

 時代は変わり江戸時代、徳川綱吉の逝去で「生類憐みの令」が解かれたり、ペーリー来航で「鎖国令」が解けた事などから、欧米の文化が流れ込み、牛乳の需要が増え、明治19年の東京府牛乳搾取販売業組合の資料によると、牛込区の新小川町、神楽坂、白銀町、箪笥町、矢来町、若松町、市ヶ谷加賀町、市ヶ谷仲之町、市ヶ谷本村町と、牛込にはたくさんの乳牛が飼われていました。

スタンプ

元赤城神社

新宿区早稲田鶴巻町568
(地下鉄有楽町線江戸川橋駅下車徒歩7分)
TEL:03-3260-5071