東京農業歴史めぐり

三河島菜と枝豆

 三河島菜は結球白菜が中国から伝わる以前から栽培されていた漬菜で、江戸時代初期に、三河国(愛知県)の百姓が入植してつくりはじめたと伝えられています。

 三河島菜の特徴は、葉の幅が広く、色は黄緑。現在の白菜のようには結球せずに大株になり、外葉のつけねの部分が外の方向に張り出し、船の錨に似た姿なので「いかり菜」とも呼ばれ、漬物にして食べていました。明治初年頃から作付面積が増えていきましたが、まもなく白菜の人気が高まるにつれて、とって代わられました。

 三河島枝豆は三河島菜と共に作られてきた品種で、7月の中頃に収穫できる枝豆で、枝数が多く、さやの表面についている毛は白色、葉は濃い緑で、一鞘に3粒の豆が揃ってつく優れた特性をもっています。この地域の土質は、荒川下流の沖積土で、枝豆の栽培に適していました。

 しかし、当地の宅地化が進んだため、農地の消滅と共に、「三河島菜」「三河島枝豆」の産地は、東京農業の歴史にその名を止めるだけになってしまいました。

稲荷神社

荒川区荒川3-65-9
(JR常磐線三河島駅下車5分)
TEL:03-3891-8281