東京農業歴史めぐり

雑司ヶ谷ナス

 江戸時代、清戸坂の北側一帯は雑司ヶ谷村の畑(現在の雑司ヶ谷墓地は一部)で、坂の道ぞいには雑司ヶ谷清戸村百姓町があり、江戸への野菜供給基地としてナスのほか、ダイコンや青菜などを生産していました。とくに、味がいいと評判になった雑司ヶ谷ナスは、江戸時代後半から大正時代の中頃までもてはやされていました。

 ナスの栽培には、下肥(人糞尿)や馬糞が多く使われていました。ナスはその用途が広いため需要も多くて、キュウリと並んで夏野菜のなかで重要な地位を占めていました。

 大正時代の中頃まで、伝統的栽培技術は引き継がれ、その後、年毎に早く収穫できる技術が開発されたことから、昭和の初めには種まきの最盛期は、2月15日前後となりました。文献によると当時の北豊島郡(現在の荒川・板橋・北・豊島・練馬の各区)のナスの作付け面積は、約200ヘクタールと記されています。

大鳥神社

豊島区雑司が谷3-20-14
(都電鬼子母神前2分)
TEL:03-3971-6034