東京農業歴史めぐり
養蚕の村・羽村
養蚕が我が国に伝えられたのは弥生時代前期頃といわれ、中国説と韓国説などがあります。武蔵国と呼ばれたこの地方では、8世紀初頭に養蚕と機織りが行なわれていましたが、盛んになったのは江戸時代になってからで、その頃の養蚕は主に女性の仕事でした。
安政6年(1859)横浜開港に伴う輸出額のうち生糸・蚕卵・繭が8割を占めたといわれています。蚕糸業が国策産業としての推奨され、その後1世紀以上にわたって主要貿易品目として日本の近代化に貢献してきました。水田に恵まれない多摩地方では、繭生産は貴重な現金収入で、明治33年(1900)東京は全国8位の主要養蚕地帯となりました。
羽村市では、明治に入り指田茂十郎、下田伊左衛門等の献身的な努力もあって養蚕先進地となり、大正8年には養蚕農家346戸、桑畑が340ヘクタールと全耕地の70%を占め、当時一戸当たりの収繭量日本一を自負したといわれるくらい「全村これ蚕に明け、蚕に暮れる日々が続いた」と記録されています。
阿蘇神社
羽村市羽加美1365
TEL:042-554-3405