東京農業歴史めぐり
代々木野と周辺の村落
ここ明治神宮の境内は、かつて代々木野といわれ武蔵野の一部で、草深き原野は四季折々の山野草が咲き競っていました。それまで、寒村であった江戸に徳川家康が幕府(1603)を置いた事から、江戸周辺の原野は拓かれ、あちこちに集落が形成されました。
寛永年間(1624〜44)には諸大名の別邸や旗本の屋敷などが作られましたが、代々木野(当境内)には元熊本藩主、加藤忠廣の別邸が造営されました。当境内周辺には原宿村・千駄ヶ谷村・代々木村・穏田村・上渋谷村などの集落があり、米、麦、蕎麦などのほか、ナス、ダイコン、ニンジンなど、江戸で不足する野菜類を主に生産し、神田や日本橋に出荷していました。
1867年、江戸幕府が崩壊し、明治政府が誕生すると、かつての大名屋敷の多くは空き家となり、青山周辺は市街化が進んだのに比べ、原宿村など、周辺の村々は、明治中期の頃まで、田園の景観をとどめていました。
明治神宮
渋谷区代々木神園町1-1
(JR山手線原宿駅5分)
TEL:03-3379-5511