東京農業歴史めぐり

野菜の促成栽培発祥の地・砂村

 野菜の促成栽培は寛文年間(1661〜73)の頃、中田新田の農民、松本久四郎が考案したと言われています。初物を食べるというぜいたくが広がり過ぎると、農家は米麦など基本食料の生産よりも、高く売れる初物づくりに力を入れるようになり、また、庶民のぜいたくは、身分制度をゆるがすことになるとして、江戸幕府はたびたび、出荷日を統制する法令、促成栽培禁止の町触れを何回も出して、取り締まりました。

 この促成栽培の方法は、ゴミを堆積すると醗酵熱が出るのを利用し、江戸市中から出るゴミ(江戸ゴミ)を堆積、この熱を利用して早く野菜の種をまくことで、収穫が早くできるようになりました。明治維新以後には一層盛んになり、昭和に入って産地の中心が江戸川方面に移るまで続きました。

 江戸ごみという都市廃棄物を農業生産に活用した、見事なリサイクルが昭和三十年代まで展開されてきた事実にも驚きと先人の苦労が偲ばれます。

志演尊空神社

江東区北砂2-1-37
(地下鉄東西線東陽町駅より都バス境川下車1分)
TEL:03-3644-1445