東京農業歴史めぐり

足立の夏菊

 足立の花栽培は、農家が稲作のあいまに、菊などの花を栽培して、江戸の町へ行商したことが始まりと言われています。

 明治6年の「東京府志料」によると、西新井村の物産に「菊花二千七百把」の記述があり、西新井の菊栽培が当時から盛んであったことがわかります。明治から大正期にかけて菊の品種改良も進み、当鷲神社周辺の島根、上沼田、下沼田(現在の島根・江北)、本木(現在の扇・本木)地域などへ栽培地も広がりました。

 江戸川区の秋菊栽培に対して、足立区では菊の少ない初夏に咲く中輪の露地夏菊の栽培を専門としています。また、大正初期には、島根の鴨下金三氏ほかにより、チューリップの球根を冷蔵処理して開花を早める促成栽培の技術も開発され、先駆的な花の産地として有名になりました。

 このように菊の栽培から始まった足立の花栽培は、近郊農村としての地の利を生かして発達し、現在も「足立の花」として市場より高く評価されています。

鷲神社

足立区島根4-25-1