東京農業歴史めぐり
本田ウリ
江戸の人口が増加するにしたがって、江戸近郊の農村では、換金作物として野菜作りも始まり、ここではウリなども盛んに栽培され本田ウリと呼ばれていました。
農家はウリを収穫すると、船に積んで中川を下り、本所を流れる竪川や小名木川を通って、江戸に運んでいました。当時、果物などを水菓子と呼んでいましたが、江戸に上る途中で積み込まれる、本所で穫れるウリと比べると、本田ウリは大ブリで格段に美味しい水菓子と評判でした。
本田ウリは熟すと銀白色になり、真桑瓜の金マクワに対して銀マクワと呼ばれていました。
瓜売りが、瓜売りにきて、瓜売り残し、売り売り帰る、瓜売りの声。
なんとも、のんびりとした、江戸の暮らしがうかがえる歌です。
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