東京農業歴史めぐり
旧中山道はタネ屋街道
ここ旧中山道を通る旅人の中には弁当を食べるため、街道沿いの農家に立ち寄り、縁側を使わせてもらう人などもいました。旅人は、農家の庭先や土間で見慣れない野菜を見かけると、国元で栽培しようと、種子を欲しがる人も多く、やがては農家の副業として種子を販売するようになりました。
その後、江戸・東京が生んだ滝野川ゴボウ、滝野川ニンジンなど優れた野菜が出現すると、種子を扱う専門店ができ、明治の中期には巣鴨のとげぬき地蔵から板橋区清水町にいたる約6キロの間にタネ屋問屋が9戸、小売店が20戸も立ち並ぶ、タネ屋街道になっていました。
寛永20年(1643)の代官所に申告した書き付けに、長野県諏訪の種の行商人が榎本種苗店(豊島区西巣鴨)に仕入れにきた模様が記されています。馬12〜3頭を曳いて種子を仕入れ、帰り道「萬種物」の旗を立て街道筋の種子問屋に卸していったり、農家に販売して歩くなど、さながら富山の薬売りと同じように種子も行商により商われていました。
真性寺
豊島区巣鴨3-21-21
(JR山手線巣鴨駅とげぬき地蔵通り)
TEL:03-3918-4068