東京農業歴史めぐり
東京大越ウリ
この地域は江戸時代から、昭和の初期にわたり、シロウリの特産地でした。旧武州田畑村付近から、旧豊島郡野方村(現在の中野区野方・鷺宮地域)の東京区部の北西部一帯は、一部水田のほか広い武蔵野の畑作地帯でした。シロウリの畑は低地から台地まで広く適したので、夏の野菜として盛んに栽培されていました。江戸時代後半から明治にかけては、漬物というとシロウリに限られ、キュウリは顧みられませんでした。
シロウリには漬物用専用の小型で緑色のものと、漬物あるいは煮物用にも使われた長さ60センチにも及ぶ大型で淡緑色のものとがあましたが、この地方では大シロウリと呼ばれる後者のものが特産で、季節には農家の女性たちが庭先でウリを縦割りにして、ハマグリ貝で種をかきだしていた情景が各所でみられたものです。
大シロウリは奈良漬けとして有名ですが、当地域も宅地化と共に産地は他の地域に移っていきました。
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