江戸東京野菜について

雑司ヶ谷ナス・中野中生山ナス(改良中生山ナス)

 1606年江戸城築城の為、青梅の成木村で採れる石灰を運搬する街道「成木往還」(のちの青梅街道)が整備されたとき作られたと言われる「中野村」

 宝暦年間(1751-64)に中野村の名主・堀江家が育成したナス苗(雑司ヶ谷ナス・中野中生山ナス)を江戸城の本丸、西の丸、山里、吹上に納めていましたが、西山(武蔵野台地)と呼ばれた中野で栽培されたナスを「山ナス」と呼ぶようになりました。当時は、早生山茄、中生山茄子、晩生山茄子の品種がありましたが、現在残っているのは改良中生山茄子で、「中野中生山ナス」として普及されています。江戸時代のはじめより栽培され、西山方面で多く栽培された茄子は、「山茄子」「雑司ヶ谷茄子(ぞうしがやなす)」の別名があります。清戸坂の北側一帯は雑司ヶ谷村の畑(現在の雑司ヶ谷墓地は一部)で、坂の道沿いには雑司ヶ谷清戸村百姓町があり、江戸への野菜供給基地として茄子のほか、大根や唐茄子、青菜などを生産していました。

代表的な取り扱い地区のJA

JA東京あおば http://www.ja-tokyoaoba.or.jp/
JA東京むさし http://www.jatm.or.jp/