江戸時代は北区田端付近で栽培されていた記録があります。しだいに西へ広がり、現在の豊島区、中野区、練馬地区へと広がっていきました。昭和に入り練馬区大泉の渡辺正好氏により中生系大越瓜が奈良漬加工用として改良され、泉大越瓜として完成されました。奈良漬専用のため、練馬区内の農家は収穫するとすぐ加工業者に売り渡していました。