江戸東京野菜について
川口エンドウ
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川口エンドウは八王子市川口地区(旧南多摩郡川口村、現在の八王子市西北部の楢原町、犬目町、川口町、上川町、美山町)でつくられていました。特に昭和30年代は川口農協が生産から販売までの一貫した生産指導を行い、特産化が図られ生産高のピークでした。その後、昭和40年代に入ると畑の宅地化や収穫期間が短く収穫に手間がかかることから急速に姿を消していきました。
川口エンドウは八王子市川口地区(旧南多摩郡川口村、現在の八王子市西北部の楢原町、犬目町、川口町、上川町、美山町)でつくられていました。特に昭和30年代は川口農協が生産から販売までの一貫した生産指導を行い、特産化が図られ生産高のピークでした。その後、昭和40年代に入ると畑の宅地化や収穫期間が短く収穫に手間がかかることから急速に姿を消していきました。