江戸東京野菜について
孟宗竹のタケノコ
孟宗竹が初めて江戸に入ったのは、薩摩藩主島津重豪が宝暦年間(1751〜17649)に国許から鉢植えにして将軍家に献上し吹上御苑に植えられました。また、江戸鉄砲洲の回船問屋・山路治郎兵衛勝孝が安永年間(1772〜1781)平塚村戸越(現・品川区武蔵小山)の農業振興に薩摩から取り寄せ栽培。消費拡大にも力を入れました。
その後、品川から、目黒、世田谷、さらには東京全域に栽培面積は広がっていきました。孟宗竹は、将軍家から諸大名の大名庭園へ下げ渡されたものも多く、そこから広まったものも多くあります。
東京の孟宗竹は、江戸期以降に、このようにして、増えたもので、数代前から農家の屋敷林の一部になっています。
京野菜などで用いられるものは小ぶりでまだ土中にあるものを多く用いますが、江戸においてはより大きなものが好まれたため、太いものになるよう竹林を管理して出荷し、煮物や炊き込みご飯などで季節の食材として食されました。