江戸東京野菜について
三鷹大沢わさび
三鷹市の大沢地区。野川沿いの国分寺崖線からのわき水で約800平方メートルのワサビ田がある。
伝承では、200年ほど前の文政年間(1818-1830)、伊勢出身の箕輪政右衛門が始めたワサビ田とのこと。江戸では当時、登場間もない握りずしがブームとなっていた。ワサビの需要が高まっていたので、大沢の豊かなわき水に着目し、故郷近くの五十鈴川に生えていたワサビの移植を思いついたとされる。
主産地のワサビと比べて根茎が小さいが、出荷先の神田や築地市場で「味がよい」と評判を得るも周辺の市街化が進みわき水が減ったため、昭和の後期には生産されなくなった。
放置されていたワサビ田は三鷹市が箕輪家から古民家を寄贈され、整備を始めたことにより再発見されたもので2018年の一般公開に向けて史的な価値を調査する一方、ワサビの復活過程で、「ワサビ博士」で知られる岐阜大学の山根京子准教授(49)にDNA鑑定を依頼したところ「だるま系」など三大品種の「三つのいずれにも似ていない非常に珍しい型だ」と指摘された。
三鷹大沢わさびのワサビ田は、道路や住宅開発の影響で、現在約八百平方メートルを残すのみ。三鷹市が管理し、ボランティアの協力を得ながらワサビ田の保全活動を続けている。